渡辺芳遠先生の
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news 2012.8

地蔵信仰

 熊野の古道の辻々や寺院の境内、墓地の入り口などにお地蔵さまは建てられています。無病息災・五穀豊穣を祈り、どこへ行くにも体が大事、足が大事の旅の安全を祈願し、また、旅の途中、その地で亡くなった人々の供養の為にも建てられたのでしょう。子安地蔵や首なし地蔵、風伝の延命地蔵やいぼとり地蔵、他にも土地の名の着くものや、道標を兼ねたものなど、私の居る御浜町だけでも多く見受けられます。熊野市内のお地蔵さまを2、3取り上げて、地蔵信仰を私なりに考えてみます。

三介地蔵

 熊野市紀和町の平谷に「三介地蔵(さんすけじぞう)」が祀られています。三介は、慶長19年(1614年)、この地で起きた北山一揆加担の罪により打ち首にあい、首はさらされました。そして三介の妻子5人もやぐらに縛られ、下からの槍によって処刑されたのです。

 三介の没後82年の元禄6年に、“指導標”なるものが建てられていましたが、近年“供養塔”として浄財の寄付と紀和町教育委員会の指導、支援のもとに改めて三介地蔵の改修が行われました。行ってみると、きちんと屋根もついてありました。

 

 厳しい年貢の取立てに立ち上がった北山一揆、それがために、罪咎もなき妻子までもが涙を飲んだお話。これは、広い世の中、三介達だけではなかったでしょう。

 お地蔵さまは、とくにあの世とこの世とを仲介し、あの世の苦痛から人々を解放してくださる。本堂の中ではなく、路傍や河川、海岸によく建立されているのは、お地蔵さまがあくまで庶民の味方である為、庶民の生活の場に祀られているのです。同時にいかに人はいつの時代でも苦しみがあり、安穏を求めていたかが理解できます。慢心して神仏の存在を忘るるべからず。原発問題など現在の人災を無くす為のヒントは地蔵信仰にあると、私は思います。

市兵衛地蔵

 熊野市井戸町のひまわり保育所裏に、「市兵衛地蔵菩薩」が祀られています。今から約200年前、市兵衛はある日、訪ねて来た老僧に一夜の宿を貸したところ、老僧は感謝しお礼に“日照り続くとも水絶やさじ”と念じたそうな。以来、清浄の水が尽きることなく流れ出て、後世の人々が老僧を祀るお地蔵さまを建立し、願い事を叶えてくれるお地蔵さまとして知られています。

 

 全国各地にあるお話ですが、それは、人の力の及ばない願いを神仏に祈り、何でも人間が出来るという思い上がった気持ちが昔の人に無かったということ。今は、うまく生きることばかりを与える学校教育・現代社会にも問題があるのではないでしょうか。

六地蔵

 寺院の境内や墓地には、よく六地蔵がありますね。これは、「六道」に堕ちた人々を救ってくれるお地蔵さまです。「六道」とは、

@天…〈楽しい人生〉、A人…〈喜怒哀楽の人生〉、B修羅…〈勝負の人生〉、C畜生…〈愚かな人生〉、D餓鬼…〈なんでも欲しがる人生〉、E地獄…〈他を考えず自分勝手な人生〉

のことを言います。

これらから救ってくださるお地蔵さまの姿としては、

・天は「大堅固(だいけんご)」と言って→宝珠(知恵の意)・経を持っています。
・人は「大清浄(だいしょうじょう)」→宝珠・施無畏印(せむいいん、右手のひらを肩の辺りまで上げる姿)です。
・修羅は「清浄無垢(しょうじょうむく)」→宝珠・梵鐘を持っています。
・畜生は「大光明(だいこうみょう)」→宝珠・如意(杖のようなもの)を持っています。
・餓鬼は「大徳清浄(だいとくしょうじょう)」→宝珠・与願印(よがんいん、手のひらを垂れ外向きにする姿)です。
・地獄は「大定智悲(だいじょうちひ)」→宝珠・錫杖(しゃくじょう、杖の一つ)を持っています。

  (※木本町・極楽寺六地蔵)

 以上の六道(六凡)に、仏〈智彗と慈悲〉、菩薩〈仏になろうと努力する人〉、縁覚(えんがく)〈この世は多くの縁によって成立していると分かる人〉、声聞(しょうもん)〈よく学ぶ人〉の4聖を加えて十界と言います。人間はその十界を常に変化して過ごしています。仏教は、“仏に成ること”が目的。六地蔵もそのための教えなのです。

結び

 お地蔵さまは、もともと仏陀が入滅してから弥勒菩薩がこの世に現れるまでの56億7千万年のあいだ無仏の時代に、迷える衆生を正しく導くように仏陀から頼まれた菩薩であり、仏陀の代行をしてくださると信じられています。幅広い信仰であるため無数の分身に変化していて、時代的背景から生まれたものもあります。

 お地蔵さまのルーツは、インドの大地。地蔵の「地」はインドの古い言葉で「クシュティ(大地)」、地蔵の「蔵」は「ガルバ(含む・母)」で、“大地の母の徳”といった意味なのです。大地のように忍耐深く安定し、慈悲深いことを象徴し神格化したものです。

 地蔵信仰は、庚申信仰と同じく平安時代に貴族の間で信仰されたものが、江戸時代になって庚申信仰とともに庶民の信仰となりました。なにはともあれ、少子高齢化、非正規社員、年金、いじめ、原発など問題の多い現在、熊野に多く残る素朴な神仏の信仰に、自らを反省し、正しく学ぶことは急務なことであると、私は思うのです。


 渡辺芳遠 氏

 三重県南牟婁郡御浜町。若い頃に東洋哲学を学び、仏門に入った経験を持つ。その後、50年以上教壇に立ち、哲学・文学・国語・歴史・仏教に詳しい。現代の社会問題や人の心のあり方など、世に常に疑問を投げかけ、紀南ツアーデザインセンターの連続講座をはじめ、様々な講義活動を行っている。


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