渡辺芳遠先生の
熊野の素朴な神仏あれこれ

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news 2012.10

自然崇拝

自然崇拝

 人間は自然によって生かされ自然の中で生活しています。自然は私たちに恵みを与えてくれますが、時には恐怖も与えます。適度な雨はありがたいことですが、暴風雨になってはこまりますね。

 海、山、川、滝、岩、樹木、大地、火、空気・・・そのような自然を常に意識して畏敬の念を抱かなくてはなりません。ところが現代は、能率的、経済的なことなどが優先して自然を疎かにしています。原発事故はその象徴的な現象です。

人間がより楽しく生活するためには“自然を大切にすること”が何より近道に思うのです。

熊野と都会

 都会から来られた方を熊野古道にご案内して、この神社はこういういわれがあります、このお地蔵さまはこのようなありがたいことをお示しくださいます、などと話しても、「熊野の空気はおいしい」「山が青く、海が青く、、、熊野の自然は素晴らしいですね」という言葉が返ってきます。ゆったりとした気持ちになっていただけて、人は、熊野の自然に惹かれていきます。

 熊野は後ろが山で、前は海です。「陸の孤島」と言われていました。どこへ行くにも峠を越えねばならず、都会との交流は今でこそ交通が発達して自由になりましたが、昔は没交渉でした。それだけに、自然がいっぱい残されています。

 現代は、日本も世界も心が落ち着かない人が多く、争いも無くなりません。皆が和やかな楽しい心になるためには“熊野の自然”が一番の薬であると思います。

自然信仰と世界遺産

 世界遺産は地方の活性化、経済に効果をもたらすことが目的なのでしょうか。世界遺産は自然を観察しそこに神仏を見出してお互いが幸せになることが目的であると思います。

  熊野の自然はそこを訪れて自分だけが癒されるだけではありません。だから私はただ説明だけのガイドブックの様な「語り部」はしないことにしました。そこに自然を感じさせこの世の中がもっともっとよくなることを願っています。自然に対する信仰は、昨日今日言われたことではありません。永久の昔、人類の発生から感じられ、考えられたものであります。

熊野の自然

 人間の力ではどうすることもできないことが沢山あります。そういうとき、人は自然に手を合わせます。神社や寺院があるからそこで手を合わせるのではなく、神社や寺院は人が手を合わせてから建立されたものです。神話を記した『古事記』『日本書記』は712年と720年成立、仏教伝来は538年頃。もちろん人はそれ以前から名のある特別な神ではなく、自然の神々を信じ、願い、祈っていました。

 熊野には小さな集落がいくつもあり、小さな神社と寺院が建てられています。神社と寺院の周囲には樹木が茂り、山や川の傍らにあるものが多数です。つまり、神仏イコール自然なのです。

    

 133メートルの大滝がご神体の那智大社、70メートル以上の大岩がご神体の花の窟神社。熊野で神仏を拝むことは、自然を拝むことです。自然は人間のように口やかましくなく黙っています。それでいて自然の摂理に従って、春には花が咲き、秋には散っていきます。

 川の流れは常に上流から下流に流れていきます。大木は小さな木を「上から目線」では見ません。可憐な花は美しい大きな花をねたみません。自然には私利私欲が感ぜられず、ただ、自然の法則によっているだけです。



 渡辺芳遠 氏

 三重県南牟婁郡御浜町。若い頃に東洋哲学を学び、仏門に入った経験を持つ。その後、50年以上教壇に立ち、哲学・文学・国語・歴史・仏教に詳しい。現代の社会問題や人の心のあり方など、世に常に疑問を投げかけ、紀南ツアーデザインセンターの連続講座をはじめ、様々な講義活動を行っている。


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