とっておきの熊野 山村の暮らし体験講座その八 ツアー記録

『熊野山間部の歴史と文化を体感する』
〜熊野市育生町の赤倉・丹倉・尾川・粉所を訪ねて〜

実施日:平成17年5月13日(金)〜5月14日(土) 

場所: 熊野市育生町

参加者: 4名

 5月13日(金)から14日(土)の二日間、とっておきの熊野 山村の暮らし体験講座 その八『熊野山間部の歴史と文化を体感する』が開催され、赤倉、尾川、表倉、大丹倉などを楽しみながら訪ね歩きました。この地域は、木本からかつての西山郷を通り本宮へ通じる街道沿いの要所でした。しかし今日では、人口減少が激しい過疎地となっています。埋もれつつある過去の記録や記憶を旅のかたちで辿ることにより、熊野という地域の本来の姿を思い描き、これからの地域のあり方を問い直してみようという、大きな目的意識をもった企画でした。

育生町の歴史散策の参加者
幅1mほどの旧街道が棚田の中にかすかに残る。すべてはこの道から始まった。

 二日間の旅を進める上で、二人の方に大きな協力をしていただきました。一人は代々赤倉に住み、今では人口8人となってしまったこの地であまごの養殖を中心にして仕事をされ、地域に貢献されている中平孝之さん。もう一人は尾川の出身で、歴史・石造物・城郭などの調査研究をされながら、郷土史家として三重県史の編纂や各地の郷土歴史をまとめる仕事などをされている前千雄さんです。

お茶作りを指導していただいた中平孝之氏
育生町の歴史を語っていただいた前千雄氏

中平さんには旧街道や集落をつなぐ古道のルートの紹介と、品質の高さで知られる赤倉の番茶作りの指導などをしていただきました。前さんには初日の夜、中平さんの自宅で開催した育生町についての歴史講話と、翌日の尾川に残された史蹟の案内をお願いしました。

 13日午前10時、4名の参加者の方々はまず、赤倉の番茶作りを体験しました。午前中の2時間、たっぷりとお茶の新芽を摘み、午後から自分の摘んだお茶を鉄釜で炒り、むしろの上で手揉みをしました。しっかりと揉み上げた茶葉を天日の下でむしろに広げ、乾燥させました。

畑や家の石垣に生えているお茶の木で茶摘み。
鉄釜でお茶を炒る。熱くなったらへらを使う。
炒ったお茶を熱いうちにしっかりと揉む。
むしろに広げ、天日で乾燥させる。

その後、北山川の対岸にあるおくとろ温泉で汗を流し、夕食。ここから講師の前さんも加わり、中平さんと紀南ツアーデザインセンターのスタッフ手づくりの料理を楽しみました。メニューはあまごと山菜の天ぷら、遊木町の畑中伉さんが応援に持ってきてくださった真イワシとキミナゴ、あまごの炊き込みごはん、味噌汁など。食後、前さんの歴史講話を伺ったあと、懇談は夜9時半まで続きました。有志以来の育生町の歴史を学び、ふだん気づかない地域の歴史の深さを知りました。

食事は全部手料理。裏方で準備する。
前千雄さんの歴史講話をしっかりと聞く。

 14日は宿泊した熊野市自然休養村管理センターを出発して、前さんのご案内で尾川地区の歩行から始まりました。西光寺の墓地に置かれている室町時代の宝篋印塔や一石五輪塔を見学し、その意味や時代ごとの特徴などの説明を聞きました。また旧育成小学校に開設されている郷土資料館を訪ね、展示されている古文書や図書について解説を伺いました。

室町時代に作られた石造物を説明する前さん。
旧育生小学校は郷土資料館として利用されている。

 その後、粉所まで移動し、粉所から表倉へ通じる「粉所道」と言われる旧道を歩き、表倉の岩の上へ。育生町全域から北山村大沼を眼下に眺め、遠く玉置山などの熊野の山々を遠望しました。

クロモジの林を抜けて、粉所から表倉に登る。
風のおさまることを願う、風吹き地蔵が残る。
日当たりのよい所にはシャクナゲが咲き始めていた。
表倉から玉置山方面を望む。尾川が真下に見える。
天気に恵まれ、美しい風景を堪能する。

再び歩いて、大丹倉へ。ここで昼食をとったあと、この地域の主要街道であった古道を尾川まで歩いて下りました。大丹倉の岩壁をふだん見ない西側から眺める、急峻な崖沿いに切り開かれた道です。立派な石垣で固められていました。昭和に入ってからも依然として利用され続けたこの道が、果たしたであろう役割の大きさを想像しながらの歩行でした。

大丹倉で昼食休憩
大丹倉を左手に見ながら、旧街道を下る。
見事な石積みが残る道。沢は鉄の橋で渡った。

 午後2時、予定通り自然休養村管理センターに到着。前さんがここで、待っていてくださいました。熊野山間部の歴史の一端に触れ、その奥の深さと解釈の難しさにとまどいながらも、熊野という地域の一角を形成してきた過去の事実を知ることにより、それらが時代の流れの中に埋もれ、忘れ去られようとしていることの恐さを感じた2日間の旅でした。特に修験道にかかわることが随所に出てくることが印象的です。たとえば、尾川の宝篋印塔群は修験者の墓であるということ、表倉と大丹倉は修験道の行場であったということ、大丹倉の熊野天狗鍛冶屋敷跡にいたのは近藤兵衛という修験者であったということ、旧街道や周辺の道は生活の道でもあったが修験者の通う道でもあったということなどが挙げられます。このことも、この地域ならではの歴史であると言えます。

参加者全員で記念撮影

 前さんは「郷土史を語るのは先祖に対する供養の気持ちからだ」と言われました。また、「歴史とは月夜の晩に遠い山を見るようなもの――つまり、あることは確かだが、はっきりと見えない――」とも。すぐ目の前にあるもの、手でさわれるものばかりがもてはやされることの多い今日、過去の地域の営みの延長線上に未来の繁栄をイメージすることは困難なのかも知れません。しかし、山間部において過疎から脱却する方法は、そこにしかないように感じます。また、今回の旅を通じて、今日の文化の中では再生がほとんど不可能とさえ思われるような豊かさが、過去には確かにあったことを実感しました。先人の知恵に学び、過去から築かれてきたものを大切にする気持ちを持って、再び今回のような旅を、この地で行いたいと思いました。

(記録:橋川)

以上


三重・紀南
エコツーリズム
通信
三重・紀南
エコツーリズム

Web通信
常設ツアー
熊野川・北山川
カヌーツーリング
常設ツアー
熊野川町嶋津の
山歩き
木本 街歩き
地域の方による街案内
紀南ツアーデザイン
センター

ご連絡ください
季節植物
日記
神仏あれこれ
熊野
facebook